すべての光に影があり
ニコラウス・コペルニクス
全ての影にその翌朝がある
皆様こんにちは、酒好きブロガーのシサカです!
突然だが、私はBARが好きである。
正確に言えば、BARという空間が好きである。
暗い照明、ひんやりとしたカウンター、グラスを磨くマスターの黙々とした所作、ジャズやボサノバか醸し出す満ちたりた静けさ。(音楽的素養が無い私にはよく分からないが)
そういったものすべてが好きでなのである。
しかしBARには、致命的な欠点がある。
遠い、高い、帰らなければならない。
この三つだ。
この三点は、よくよく考えればかなり致命的である。
遠いから足が向かない。
高いから懐が泣いている。
帰らなければならないから、終わりが必ず早めに来る。
BARとはつまり、幸福に上限が設けられた場所なのである。
私はこの構造的欠陥に長年悩んできた。
そしてある夜、茶碗をあおりながら、ふと気づいた。
BARに行くから問題なのだ。
BARに来てもらえばいい。
こうして私の酒棚計画は、誰に頼まれるわけでもなく、ひっそりと幕を開けた。
第一章 BARはいつも遠い

BAR通いの何が楽しいかと問われれば、私は少し考えてから「雰囲気」と答えるだろう。
しかしそれは正確ではない。
BARにおける楽しさの神髄は、「自分が雰囲気の中に溶け込んでいる感覚」にある。
家飲みでウイスキーを飲んでも、それはただの「アルコール摂取」である。
しかしBARのカウンターで同じウイスキーを飲むと、それはなぜか「経験」になる。
液体は同じなのに、状況が意味を変える。
人間というのは実に騙されやすい生き物であって、背景が変わるだけで脳内の評価回路がまるで異なる反応を示すのである。
哲学者のサルトルは「実存は本質に先立つ」と言った。
BARについて言えば「文脈は液体に先立つ」と私は思う。
しかし現実問題として、近所のBARへ行けば一杯1500円はする。
二杯飲めば3000円。
田舎に住んでいる私は都市部からタクシーで帰れば8000円。これが週一のペースで続けば、月に三万円以上の出費である。
そのお金があれば、かなり立派なボトルが何本も買える。
酒好きは常に、この葛藤と戦っている。
「贅沢という非合理」対「家飲みの合理性」。
この二項対立に正解はないが、家飲みの場合は確実にひとつ負けていることがある。
家には、BARの「空気」がないということだ。
照明がまず違う。
家の照明は明るすぎる。
蛍光灯の下でシングルモルトを飲んでも、ちょっと高い夜食だ。
グラスが違う。
つまみが違う。
それでも人は家で飲む。なぜなら安いからである。
そして安さと引き換えに失ったものが何なのか、この時点ではまだよくわかっていなかった。
第二章 コペルニクス的転回

その日、私はキッチンに立っていた。
食後のウイスキーを探しながら、棚の奥をごそごそしていると、視界の端に白い壁が映った。
何もない、ただの壁。

キッチンにある、特に意味を持たない空白の壁である。
その瞬間、私の脳内で何かが弾けた。
シサカここに酒棚を作れば、BARになるんじゃね?
…。
……。
コペルニクスは「地球が太陽の周りを回っている」という地動説を唱え、天文学に革命を起こした。
私は「ここに酒棚を作ればBARの雰囲気が出る」と気づき、キッチンに革命を起こそうと決めた。
スケールはともかく、発想の根幹はまったく同じである。…たぶん。
知的欲求が人類は月へ向かわせたように私はホームセンターへ向かった。
久方ぶりに降り立ったが、ホームセンターというのは実に不思議な場所である。
日曜の午前、何の目的もなくふらっと入っても、なぜか二時間は出られない。
木材コーナーでは謎の向上心が芽生え、工具コーナーでは「これさえあれば何でも作れる気がする」という根拠のない万能感に苛まれる。
DIYというのは、ホームセンターに入った瞬間から始まっているのである。
壁に穴をあけると家主が烈火のごとく怒るという諸事情を踏まえ、壁穴を必要としないツーバイフォー材と『ラブリコ』を購入した。
合計4千円ほどだったと思う。飲み代より安い。
これで「BARの空気」が永続的に得られるなら、コスパは圧倒的である。
そう思った。
この時点で私はまだ、何も間違っていなかった。
第三章 七日間で神が世界を創ったように、私は酒棚を作る


正直、DIYというものを舐めていた。
いや、正確に言えば、「舐めていた自分を想定していなかった」というのが正しい。
棚とは要するに、板を壁に固定するだけである。
それ以上でも以下でもない。そう信じていた。
理想は、五分で瓦解した。
まず、壁の色の問題である。
私のキッチンの壁はオフホワイトで、これに素のままの木板を取り付けると、どう見ても「壁に板が生えている」という状態になる。
BARの酒棚ではなく、解体途中の家屋の断面図である。雰囲気の欠片もない。
つまり、柱板にペンキを塗らなければならない。
これは想定外だった。
「棚を作る」という行為には、塗装という工程が付随する。
私はホームセンターへ向かい、塗料コーナーの前に立った。
白だけで十七種類…。
オフホワイト、アイボリー、クリームホワイト、ミルキーホワイト…。何がそんなに違うのか…。
「白」という色は、この世にこんなに種類があるのかと、軽い眩暈を覚えながら壁の写真をスマートフォンで見比べること20分。
結局「これでいいか」と手に取った塗料が正解かどうか、いまだによくわからない。


次に、高さの問題が発生した。
棚を作ると決めたとき、私は何も考えずに「二段」と決めていた。しかし、酒のボトルというのは実に多種多様な高さを持っている。
ウイスキーとジンでは高さが違う。
マグナムボトルに至っては、もはや別の生き物である。固定した高さで棚を作れば、置けるボトルと置けないボトルが生じる。
これは困る。BARの棚に「このボトルはお断り」という話は聞いたことがない。
解決策として、「棚柱」というものの存在を知った。
壁に縦のレールを取り付け、そこに棚受けをはめ込むことで、棚の高さを自由に変えられる仕組みである。
なるほど合理的だと感心したが、同時にこれを最初から知っていれば一回のホームセンター訪問で済んだという事実に、少し遠い目になった。
もうすでに三度目のホームセンターである。
そして、棚板の素材という問題が待っていた。
木板にも種類がある。
集成材、合板、パイン材、MDF。それぞれ硬さも重さも価格も違う。
私が最終的に行き着いたのはメラミン化粧板というもので、表面が樹脂でコーティングされており、水や汚れに強い。
BARの棚である以上、酒がこぼれることは前提条件として織り込む必要がある。
木材が染みを吸い込んで変色するような事態は、避けなければならない。
これだけは迷わず選べた。
ただし、この知識を得るまでに、ホームセンターの店員に三回質問し、スマホの画面と20分格闘した。
私はようやく、すべての材料を揃えた。
塗装して、乾かして、柱を立てて棚柱を打ち込む、棚板をはめ込む。作業期間延べ3日。


神は七日で世界を創造したと聞くが、私は棚を壁に固定するのに三日間もの時間を費やした。
これをやるだけで三日である…。
私と神との差は概念のスケールだけでなく準備の周到さにもあるらしい。
しかし完成した瞬間、不思議なことが起きた。
棚がそこに存在した瞬間、部屋の景色が変わったのだ。


塗装の色が壁に溶け込み、棚柱が整然と並び、メラミンの表面が照明を鈍く反射している。
完ぺきではない。
でも「変わった」という手応えが、確かにあった。
DIYの本当の快感は、技術ではなく「変化」にあるのかもしれない。
第四章 酒棚は完成した。しかし満足できなかった


問題が発生した。
酒棚が完成した瞬間、酒瓶をたくさん並べたくなったのだ。
…まあこれは予想の範囲内である。しかし問題は「並べるだけでは満足できない」という点にあった。
まず、グラスを吊るしたくなった。
BARのカウンターには、たいてい逆さのグラスが天井から吊るされている(グラスハンガーと言うらしい)。
あれは機能的というより、視覚的なシンボルである。
「ここはBARである」という宣言をグラスが行っている。私の酒棚にも、あれが必要だと思った。
吊るし金具を買いに、再びお店へ向かった。DIYerの宿命である。


次に、照明が欲しくなった。
BARの照明は暗い。
しかし「暗い」のではなく「陰影がある」と表現すべきである。
光と影のコントラストが、空間に奥行きをもたらす。
私の酒棚にも、その奥行きが必要だった。
スマホと格闘すること数時間。テープライトなる物があることを知り取り寄せ設置する。
そしてこの光を見た瞬間、私はこれだと確信した。


おしゃれだ…。
そして、ここから奇妙な現象が始まった。
この日を境に酒瓶が増え始めたのである。
棚ができる前は、ウイスキーが二本、日本酒が一本、あとはビールが冷蔵庫にあれば事足りていた。
しかし棚を作ると、「あそこのスペースにはもう一本並べたい」という欲求が発生する。
ブランデーが欲しくなる。
ジンが欲しくなる。
ラムやテキーラも一本置いておけばカクテルの幅が広がる、という謎の論理が頭の中で展開される。
酒棚は収納ではなく、欲望の器であった。
では、なぜ酒好きは酒瓶を「並べたがる」のか。
飲むためだけなら、押入れに仕舞っておけばいいのに。
しかし誰もが「見える場所に置きたい」という衝動を持つ。この衝動の正体は何なのだろう。
第五章 人はなぜ酒瓶を並べるのか


飲むためだけなら押入れで十分である。
酒は暗所保存が基本なので、むしろ押入れのほうが理にかなっている。
しかし酒好きは一様に「見える場所に置きたい」と欲する。なぜか。
本棚と同じ構造だと思う。
積読というものがある。
客観的には「読んでいない本の山」だが、本人にとっては「いつか読む意志の証明」として機能している。
だから罪悪感がない。
むしろ誇らしい場合すらある。
酒棚も同じで、飲んでいないボトルは「飲む気がある私」の証拠として堂々と展示される。
これを欺瞞と呼ぶことも可能だが、そう言うと本棚の積読も同罪になり、人類全体を批判することになるので、ここでは言わないでおく。
さらに、酒瓶はデザインがすごく良い。
ラベルの意匠、ボトルの形状、琥珀や深緑の色彩。これらが一列に並ぶとき、それはもはや収納ではなくキュレーションである。
ボウモアをここに、ブランデーをその隣に、リキュール類は少し離して―。
この配置に実用的な意味はほぼない。あるのは「そのほうが良い」という、根拠の薄い確信だけである。
要するに酒棚とは、「オシャレな空間のマスターでありたい自分」を物質で外部化したものだと思う。
非常に回りくどい自己実現の方法だが、人間とは概ね、回りくどい生き物である。
第六章 そして重大な欠陥に気付く


酒はある。 グラスもある。 シェイカーも買った。 LEDが鮮やかに輝いている。
ジャズも流れている。 カクテルも、それなりに作れるようになった。
完璧である。
これだけの条件が揃えば、あとは開店するだけだ。
そう思って私はキッチンに立ち、カウンター代わりのシンクの前で、丁寧にグラスを磨いた。
マスターの所作を頭の中で再現しながら、ゆっくりと、丁寧に。
磨き終えたグラスを棚に戻し、ふと気がついた。



客がいない…。
…。
これは冷静に考えると当然の帰結なのだが、熱狂というのは人間の冷静さを著しく損なうようだ。
私はこの数週間、棚、照明、グラス、シェイカー、BGMといったBARの「物理的構成要素」を揃えることに全力を注いできた。
リストは着実に消化されていった。
しかし私は致命的なひとつを、リストに入れ忘れていた。
人間である。
BARとは何か?という問いをここで改めて立てると、答えは拍子抜けするほど単純ではないだろうか。
BARとは「人が集まる場所」のことだ。
酒を出す場所でも、照明が暗い場所でも、ジャズが流れる場所でもない…。人が来て、座って、しゃべる。
それがBARの本質である。
この基本的な事実を、私はホームセンターの工具コーナーで完全に失念していた。
そしてさらに厄介なのが「人を呼ぶ」という行為が、私にとって棚を作るよりもはるかに難しいことである。
棚は材料と手順がわかれば、不器用な人間でも時間をければ作れる。
しかし人間関係には、材料リストがない。
手順書もない。
ホームセンターのどの売り場にも置いていないのだ。
「友人・知人コーナー」は存在しないし、「コミュニケーション能力、切り売り」という商品も見たことがない。(あったとしても、おそらく私には使いこなせないだろうが)
私は酒棚の前に座り、ひとりジントニックを作った。
ライムを絞ったりして無駄に凝ったやつを。
LEDの光の中でグラスの氷がゆっくり溶けていく。ジャズが流れている。雰囲気は、完璧だ。
しかしその完璧な雰囲気を共有する人間が、私の世界には存在しない。
哲学者のハイデガーは「現存在は世界内存在である」と言った。
人間とは常に、他者との関係の中にしか存在できない、という意味である。
私の酒棚はこの命題を、およそ約20万円の出費をかけて証明した…。
BARの本質は「空間」ではなく「関係」にある。
これは至極正しい洞察だと思う。
私には友達がいないのでBARを成立させられない…
もう少し早く、安く気づきたかった。
授業料としては、高い…!!
おわりに


酒棚は完成した。
壁一面に並んだボトルたちは、想像していた以上にそれらしく見える。
夜になるとLEDの光が瓶を照らし、キッチンの片隅は華やかなBARになる。
私は満足だった。
BARに行けないなら、BARを作ればいい。
そう考えた自分を少しだけ誇らしく思った。
酒はある。
グラスもある。
シェイカーもある。
照明もある。
雰囲気だって悪くない。
だがBARには客が必要なのだ。肝心の客だけがいない…。
そもそも呼ぶ友達が私にはいなかった。
私は何を作っていたのだろう。
よく考えると、これはBARではない。
酒がいっぱいおける棚である。当たり前である。
しかし、それでも作ってよかったと思う。
この酒棚を見るたびに、自分が好きで集めてきた酒たちが目に入る。
アマレットにハマった時期。
ラムばかり飲んでいた時期。
カクテル作りに夢中になった時期。
棚には酒だけでなく、自分の時間も並んでいる。
だからこれは失敗ではない。
客が来なくても、マスターだけは毎日いる。
これが経営なら即閉店レベルだが、趣味としては大成功である。
もしこれを読んでいるあなたも家飲みが好きなら、自分だけの酒棚を作ってみるのもいいかもしれない。
ただし完成前に「誰を呼ぶか」だけはをきちんと考えておかなければいけない。
無駄にネオン光るキッチンにて、あなたのお酒ライフに幸あることを願って。
ではまた。










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