実存は本質に先立つ
ジャン=ポール・サルトル
皆さまこんにちは、酒好きブロガーのシサカです!
突然ですが皆さんは飲み会でこういうこと言われた事はないだろうか?

え、シサカくんまだ1杯目!?
オレなんてもう4杯も飲んじゃった!
・・・非常に鬱陶しいですね。
酒くらい好きなように飲ませてくれよ…。
今回は、なぜ人は「自分の方が酒強い」マウントを取りたがるのか?
という事に対して少し考察したのでお付き合いいただければ幸いである。
なぜ酒強い自慢したがるのか?

答えは簡単、優越感に浸り承認欲求を満たしたいから!
・・・なのですが、ではなぜ酒が強いという事が優越感に繋がってしまうのか?
今回は自尊心という観点から考えてみよう。
他者は自分を肯定する為の手段ではない
自尊心とは「自らに関する総合的な評価を指す概念」である。
つまり、ありのままの自分を受け入れ尊重する態度のことを指す。
他人うんぬんではなく「自分が自分をどう思うか」である。
以前カント哲学における自律と他律の話をちらっと書いたが、まさに話の肝はここにあると思っている。

『おまえより』酒が強いから『優れている』。
『おまえより』酒が弱ければ『劣っている』。
おまえより、じゃあねえだろう。という話である。
自尊心とは、
自分が有能であるかどうかの『自信』と、
自分に価値があるかどうかの『自尊』。
この二つの要素から成り立っているそうだ。
研究者によると、このどちらか一方でも不足すると自尊心が欠如し、不安・憂鬱・怖れ等をきたしそこから逃れる為、時にアルコールを乱用してしまうというメカニズムのようだ。
つまり、いつも酒強い自慢をする人間は絶えず何かに怯えているという事になる。
だから自分よりも飲めない人間を見つけては、取るに足らないマウンティングを繰り返してしまうのだ。
強い自分を誇りたいのではなく、弱者を貶めたいというのはまず間違いなく劣等感の裏返しだろう。
自尊心とは本来「他者からの評価」のように外に求めたり、人との比較から生み出されるものではないはずだ。
自尊心にとって重要なのは誰とも戦っていない状態、つまり他律的な競争軸からの解脱であると考える。
お酒が強い=すごい人ではない
酒強いマウントを取ってくる多くの男性は、
お酒が強い ➡ カッコいい ➡ 男として優れている

と思っているフシがあるが、全くそんなことはない。
なぜなら酒の強さなど、ただの運に過ぎないからだ。
以前の記事でも書いたように人間のアルコール分解能力、つまり酒の強さは遺伝子でほぼ決まるというのは周知の事実である。

- NN型 (強)
- ND型 (中)
- DD型 (弱)
遺伝子のパターン的にはこの3つしかないわけだが、日本人は約半数がND型(中)かDD型(弱)に分類されることがわかっている。
つまり日本人の2人に1人は酒が弱い。
50%のくじ引きに勝っただけである。
だがだがマウンティングに必死な彼らはこういうだろう。

でも運も実力のうちだからねー!
・・それは明確に違うと否定しておこう。
青鯖が空に浮かんだような顔しやがって。
なぜなら、運も実力のうちではなく、実力すらも運のうちでしかないからだ。
詳しい解説はハーバード大学のマイケル・サンデル教授に委ねるとして、たまたま周囲よりも高身長に生まれてきた人がいたとして、それを自らの手柄や功績だと思う者はいないだろう。
酒強いマウントを取る者はおそらく人生の中で成功体験があまりにも少なく自尊心を満たすことが難しいため、「お酒が少し多く飲める体質」という取るに足らない事実を昔取った杵柄と勘違いしてしまう。
酒豪という事を”THE CHOSEN ONE” (選ばれし者)であるかのように自慢してくるが、実際は二分の一のガチャを引き当てただけに過ぎないのである。
貴様は決してレブロン・ジェームズではないのだ。
酒が強い事の恩恵などたかが知れている
酒強いマウントを執る人間はあたかも酒が強いことが人として優れているかのように振舞うが酒が強い事の恩恵とはいったいなんだろうか?
正直、メリットらしいメリットは特に思いつかない。
少量で酔えた方がむしろ経済的コスパも良いのではないだろうか?
たくさん酒が飲めるという、たまたま持って生まれただけの偶然を実存的な存在意義の真ん中に位置付け、相手を不快にさせることを目的に彼らは生まれてきたというのであろうか?
サルトルに言わせればそんな奴はペーパーナイフ以下であろう。

そして何よりほとんどの場合、自分より格上の酒豪など世の中を見渡せば必ず存在する。
ひとたびそんな猛者が表れてしまえば、彼らはぐうの音も出ずその存在価値は一瞬にして塵と化すだろう。
井の中の蛙大海を知らず。世の中上には上がいるのだ。
そんな自らを貶める愚行に他ならない酒強いマウントであるが、対策としては、「マウンティングには乗らない」の一択であろう。
だが私たちもひとりの人間。
聞き流せずどうしても一矢報いたいのであれば次のインテリ悪口を授けよう。
先祖が汚かった?

その昔、人類は農耕が始まったことによりアルコールへの耐性を進化させたという説がある。
狩猟から農耕にシフトしたことにより水質が悪化した農耕民族は水の代わりに酒を飲むようになったのだ。( コロナ禍で消毒液の需要が高まったように、アルコールには細菌を殺す効果があるのはご存じの通り)
その結果、より汚い者ほど水の代わりに酒を多用するので耐性が高まり、お酒をたくさん飲めるようになっていったというわけである。
つまり、酒に強いという遺伝子を受け継いでいるという事は、自分の先祖がより汚く劣悪な環境に身を置いていたという仮説が浮かび上がってくる。
よって酒強い自慢をしてくる者に対して「なるほど、○○くんは先祖が汚かったんですね」というインテリ悪口が成立するのである。
「俺は酒が強い」というしょうもない自慢をする度に、自分の先祖をディスるという醜態を晒しているわけである。
・・・これは2021年に発売された堀元見氏の書籍『教養悪口本』からの一節を一部引用・要約したものであるが、確かに理にかなっているように思える。
ちなみにこの「教養悪口本」、様々な分野の教養を悪口に昇華させる(それもできるだけ相手に気づかれないように)という現代人が忘れてしまったであろうユーモアを思い出させてくれる、ある意味社会人必読の一冊となっている。
興味のある方はぜひ一度、この本を手に取ってみてほしい。
※ちなみに私は友人からおすすめの本を聞かれた際、ほぼ毎回これを薦めている。
そして何を隠そう・・・

実は私も昔これらとまったく同じことをしていたのであります・・・。
冒頭の愚者とは若かりし頃の自分を投影した姿なのです・・。
何を隠そうこの記事は、世の中のマウントくそ野郎どもに対するDISなどではなく、過去の愚かな自分に対する戒めなのです。
なのでこの記事を読んでいる方でもし、マウンティングをしてしまうという人がいるのであれば、いま一度自らを俯瞰し己のあり方をよく省みてほしい。
そう、かつての私のように先祖が汚い、ペーパーナイフ以下の人間になって欲しくない。
これを読んだ皆さんが後年、後悔することなく楽しいお酒ライフを過ごす事を願っている今日この頃であります。
ではまた。
サラリーマンの傍らブログ運営。
お酒にまつわる情報や考えを、心理学や哲学など色んなネタを絡めながら発信しています。
気分によって文体がコロコロ変わるので悪しからず。


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